戦争は終わらず・・・シベリア抑留

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 1945年(昭和20)8月14日、日本政府はポツダム宣言受諾を連合国に通告し、翌15日昼、昭和天皇はラジオ放送で戦争終結を国民に伝えました。9月2日、降伏文書に調印し、日本は無条件降伏しました。そして、1952年まで日本はアメリカ主力の連合国軍の占領下に置かれます。連合国最高司令官総司令部(GHQ)が日本政府を通じて支配する間接統治でした。
 静岡市には1945年11月占領軍約1400人が進駐しました。

 しかし、「満州」に置き去りにされた女性や子ども、樺太の人たち、強制労働のためにシベリアに抑留された兵士、そして沖縄・小笠原諸島の人びとにとって、「戦争」は終わりにはなりませんでした。

 1945年、8月9日、ソ連軍が宣戦布告をして電撃的攻撃を開始します。日本軍の支配地域満州、北朝鮮、樺太、千島列島をまたたく間にソ連軍が占領しました。そして、8月23日、スターリンの命令により、戦争で荒廃したソ連復興に必要な労働力として60万とも70万ともいわれる軍人や一般の日本人が、強制的にソ連に連行されました。そして、零下40度を超える酷寒のシベリアをはじめとし、モンゴルや中央アジアなどソ連全域の収容所に送られました。
 収容所の食料事情は極端に悪く常に飢餓状態にあり、衛生上の設備・管理が全く不備であったため、チフスや赤痢の疾病を防げませんでした。さらに軍隊の階級制度が、下級兵士に過酷な条件を強いたため、シベリア鉄道建設、森林伐採、鉱山での重労働はとても過酷なものとなりました。


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