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企画展・「銃後」のくらし

戦争が「日常」だったころ
戦時中は、今から見れば非日常の世界ですが、当時の人びとにとっては「日常」でした。
安西・末広町中心に
戦線から遠く離れた「銃後」・静岡の人びとの「日常」の断片を、末広町の山梨写真館主・山梨龍平さんが写した写真60数点などを展示。
バケツリレーによる防空訓練
田舎のバケツリレーによる防空訓練(遠藤新田)
犬も軍用犬として「出征」
犬も軍用犬として「出征」

展 示 内 容
1 「日常」の風景
2 応召・隣も向かいも
3 園児も女学生も青年学校生も戦勝祈願
4 一丸となって
5 人もモノも犬までも
6 遺骨・ふるさとへ帰る
7 人もモノも街もなくなった
期間/ 2002年6月14日〜2002年9月29日
会場/ 旧静岡平和資料センター
 
山梨龍平さんのプロフィール
1899(明治32)年、山梨龍平さんは静岡市井の宮に生まれました。若いころは、電報局や洋品店、国鉄、安倍鉄道など、さまざまな職業につき、そのかたわらで独学で写真を撮っていました。1922(大正11)年ごろ、北番町についに写真館を開業し、その後、現在の末広町へ移りました。

龍平さんは、写真を撮ることに憲兵の目がうるさかった戦前から戦中、戦後と、時代とともに移りゆく静岡の街を一貫して撮ってきました。常日頃から、「記録として残しておきたい」とおっしゃっていたとか。今日、龍平さんの写真群は静岡市の歴史を語る上で欠かすことのできない重量な歴史資料となっています。

龍平さんは、未整理の膨大な写真の整理をご長男の敏夫さんにたくされて、1982(昭和57)年、84歳でお亡くなりになりました。
山梨龍平さんはこれらのカメラで写真を撮りました
山梨龍平さんが使っていたカメラ
ニコン製の「きんし〔金鵄〕」というカメラ
きんし〔金鵄〕(ニコン製)
展示室のようす
真剣な表情で展示をご覧になっています
多くの写真が展示されています
多くの方に来場していただいています
「写真」は、ある一瞬を切り取ったものです。しかし、観る人の視点、経験、知識、感性などによって、いろいろな情報をひきだすことができます。その他にそこに写った人やものから時代の雰囲気など、文字では表現しきれない空気を感じることができます。

女性も実弾射撃や竹やり訓練をし、国民学校生も戦勝祈願。さらに銅像まで供出しました。大人もこどもも、「銃後」の日常が、写真という媒体を通じて、視覚的に浮かび上がってきました。

『明日へ…』51より

主催/静岡平和資料館をつくる会
後援/静岡市・静岡市教育委員会
協力/山梨写真館